ちょうどいい毎日をさがす日記

なんだか停滞してるな、他人と比べては落ち込んでばかりだな、ともやもやした空気が立ち込めてた2015年。それを変えようとまずは暮らしをシンプルに整えようと取り組んだ2016年。なんとか現状を変えようと、ちょうどいい毎日、を模索する34歳のブログ。

新聞を片付ける

新聞は新聞屋さんから届くストック袋を玄関横のウォークインクロゼット(ウォークインできるほど広くはない)に置いてそこにためるようにしています。捨てるのは毎月1回、古紙回収の日です。

毎日届く新聞。読めない日は当然あって、明日読もう、とソファのサイドテーブルへ置いておく。でも次の日も読めなくて、その次の日はようやく読めたけど過去の分までは読めなくてだからといって一度も開いていないのに捨てるのはもったいないからと一生読まないことはわかっているのに捨てられなくて置いておく・・こんなことを繰り返しているとあっという間にサイドテーブルがぐちゃぐちゃになります。あとは、この記事面白いから旦那さんに見せてから捨てようと思って置いておいたり。ただ単に玄関まで持っていくのがめんどくさくて置きっぱなしのことも多々あり。

この週末、一念発起して「新聞は毎日ちゃんと捨てる」と決めました。こんな小さなことで一念発起って・・シンプルな暮らしを目指しているものとして恥ずかしいけど(笑)
読んでも読まなくてもその日の新聞はその日のうちにストック袋へ。小さな小さな行動だけど新聞が乱雑に置いてないって気持ちいいです。読んでない新聞を見ると感じる僅かな罪悪感を感じなくなるって気持ちいいです。

おりはらさちこさん

ものすごく気になるタイトルの本を見つけました。
『同棲終了日記 10年同棲した初彼に34歳でフラれました(双葉社)』

著者のおりはらさちこさんはブログをやっているらしいと知って夏休みのあいだ中読み漁ってしまいました。4コマ漫画形式のブログなのですが、毎回ちゃんと落ちがあるのがすごいです・・職人です・・!!(プロに対して失礼ですね、、おりはらさんすみません)

冒頭の本はまだ読んでいないのですが、ブログ初期にもその「初彼=元相方」がたくさん出てきます。どこにでもあるようないい意味でなんの変哲もない日常。平和で、温かくて、小さなきらきらがたくさんちりばめられていて、でもそれに気づかなくてちょっと刺激が足りないよ!なんて時々思うようなそんな日常。移動のときの暇つぶしにいいかななんて軽い気持ちでブログを読み始めたのだけど、ものすごく心をえぐられてしまった・・この後別れることになっているというのは当人たちはもちろんまだその頃知らなくて、そのことが無邪気さに拍車をかけて余計にツラいのです。

これって多分誰にでも、誰とでも起こることなんだよね、と思うからです。

同棲だなんて不安定な関係なのにそれに甘んじていた作者だって悪いのでは、というような意見もちらほらあったけど、これって別にそういう話じゃないんじゃないかなと思って。10年同棲していた彼女を捨てて14歳も年下の女に走った彼氏最低(最低だけど!)っていう話でもないと思う。
旦那さんや実家の家族、友人、ペット。毎日ぶうぶう言いながら通う会社や帰りに駆け込むスーパー、面倒な夕飯づくり。この永遠に続くかと思われるただの日常全部。これらがいつ終わってしまうかなんてわからない。それがいつか、どんな形かはわからないけど、その時に振り返ってみるとまさに今がそのどこにでもあるような平和で、温かくて、小さなきらきらがたくさん散りばめられている日々なんだと思うのです。

なんか何を書きたいのかごちゃごちゃになってきてしまった。
ありきたりな結論ではあるけれど、今日のこの日を大切だと実感すること、感謝することはやっぱり大切だなと思います。(とか言いながらすぐ忘れちゃうんだけど・・いかんいかん)


同棲終了日記?10年同棲した初彼に34歳でフラれました?

同棲終了日記?10年同棲した初彼に34歳でフラれました?

本は切ない気持ちになりすぎて、読める気がしない・・

やめたこと:週末の特別な朝ごはんづくり

結婚してからずっと昨年の秋ごろまで週末はいつも特別な朝ごはんを作っていました。朝早くおきてパンを焼いたり、ホットケーキやパンケーキを焼いたり、フレンチトーストもよく作っていたっけ。パンの焼けるにおいで旦那さんが起きてくるなんてステキだな~と思って頑張っていたのでした。が、パンが焼けても旦那さんが起きてこなかったり、朝ごはんのはずが午後0時をまわってしまったり、旦那さんと二人で休日の予定の話なんかしながら朝ごはんのつもりが起きるなり「王様のブランチ」をつけられて、結局話なんてろくにしないで朝ごはんを食べるはめになったりして、自分の思惑どおりにいかないことにイライラ・・

これってただ「休日はちょっと特別な朝ごはんを作って食べるのはすてきなことである。そしてそれができるわたしはすてきな奥さんである。すてきな奥さんを持った旦那さんは幸せなのである(イコール、それができないのはすてきじゃない奥さんなのである)」と思い込んでいただけ。確かに、料理が好きで楽しみながら準備できるなら良い。でも、わたしは特別に料理が好きなわけでもないし、朝だってパン作りのために朝5時とか6時に起きてキッチンでひとりパン生地をこねてなんていないで、もうちょっと眠りたい。それに休日だっていうのに朝からフライパンやらホウルやら洗いたくなんてないよー!

なによりもこの価値観の犠牲になっている旦那さんが可哀想・・ほんとサイテーな妻でごめんなさい・・

だからもう「休日の特別な朝ごはん」はやめました。
変えるとしてもコーヒー豆をちょっといいのにするぐらい(手間ゼロ)。普段は食べないようにしているスーパーの菓子パンを特別に食べてもよいことにして時々はそうすることもあります。旦那さんがなかなか起きてこないときはひとりでコーヒーを入れてベランダに出てゆっくりする。
ホットケーキやフレンチトーストを作るのは旦那さんから特別なリクエストがあったときだけにすることにしました。リクエストに応えるわけだから、ちゃんと食べてくれるしね。
引き換えに、しばらくは「自分がすてきじゃない奥さんである」のを毎週末実感させられることになって落ち込んだけれど今ではもうそれもなくなりました。だって、本当にそうなんだもの。努力は大事だと思うけれど、努力の結果を他人にまで押し付けるのはただの自己満足。おしまい♪

今年の夏はセールに行っていない!

なんという驚き。今年の夏はまだセールに行っていない。時間がたとえ30分しかなくても、絶対に空き時間を見つけて行っていたわたしが!
ちゃんと自分で意思を持って買いものをするようになったからだと思います。1万円のトップスが2000円!?3万円のサンダルが1万5千円!?・・どう使うかはよくわからないけど買ってから考えよー!そうしよそうしよ!という脳内会議はこのところめっきり開催されなくなりました。
買いたいものを前にして「買うか?買わないか?」落ち着いて考えられなくなるような、頭に血が上った状態にも陥らなくなりました。(やばい人)
意思をもった買いもの、という方法を見つけるまで長い時間がかかったなぁ。「今年の夏は買わないぞ」という意思だと、案外あっさり崩れてしまう。しかも、一着買ってしまったのだから何着買ってもどうせ約束は破っているのだから同じ、というよくわからない言い訳まで出てきて際限なく買ってしまうパターン。意思の弱いわたしの場合は「こういうものがほしい。こういう条件でほしい。条件に合わないものはわたしの持ちものにはふさわしくないもの。」という意思を持ち始めてようやく、タンスのこやしを買ってしまうことがなくなりました。衝動買いするにしても、どういうものなら活かせて、どういうものが一度きりしか使わないのか判断できるようになりました。
セールの熱気の中でショッピングバッグをたくさん抱えて買いものをするのも楽しいけど(うん、楽しいんだよなぁ・・!すっごく楽しいんだよなぁ~)、セールの時期か否かや金額の大小に関わらず本当に好きなものを1枚だけ持って帰る帰り道もすてきなものです。

急にお金持っちゃった人

昨夜NHKクローズアップ現代をちらりと観ました。仮想通貨で大きく稼いでいる人が急増しているという話だったのですが、冒頭に映ったのはその大きく稼いでいる若者たちがバーベキューで100g3000円の高級肉を焼いて食べる映像でした。「うまいっす!」「最高~!」って(確か)言っていた。わたしは仮想通貨なるものを1円も持っておらず、儲けていない人の僻みであるかもしれないのだけど、その映像がいかにも「急にお金持っちゃった人」って感じがしてげんなりしてしまったんですよね。個人のお金なのでもちろん何に使っても良いし、貧乏なわたしにこんなことを言われる筋合いはまったくないんだけど。「急にお金持っちゃった人」って一生懸命お金を使うけどそのレベルなんだよなぁ、小さいなぁ。その後に出た人も「普段は入れないような高いお店で奢ってもらったりしてます(この人は妻が仮想通貨で稼いでいた)」と言っていた。柔道好きな子どものために家に練習用の道場作っちゃいました、とかならまだ夢があるのだけどなぁ。貧しい海外の村に学校を建てる資金を援助しましたとか。

と同時にこうやってメディアに煽られて、「わたしも稼がなきゃソン!」って知識もないまま慌てて手を出す人が急増してバブル期みたいなことが起きるのかもなぁ、と思いました。
お金に対して、お金だけじゃなくて家事や、仕事や、もっと細かくキッチンに水切りかごを置くかどうかでもよいのだけど、どんな事がらに対してもきちんと自分の価値観を持っておくこと、知識を持っておくことが大事だよなぁと改めて思った数分間でした。それから、価値観や知識のないことに対してはわぁわぁ言わないことも大事だと思っています。だから、仮想通貨そのもののしくみやそれで大きく稼ぐことに対してはただただすごいな、と思うばかりです。そういうことができる世の中なのだからそれを活かす能力や時代の変化に対応する順応性が有る人の方が絶対強いと思うし。

8月の最初だというのにおせっかいでかわいくない記事になっちゃった。あらら

絶世の美女じゃなくっても。

男女差別とかではなく、やっぱり女性の笑顔はかわいいなぁ、と思う。

例えば、挨拶してもいつも真顔でちょっとこわいと思っていた
同じマンションに住んでいる同年代ぐらいの女性。
エレベーターで乗り合わせたある雨の朝、わたしの傘を見て「あ!傘忘れちゃった!」って照れた笑顔。

スーツでびしっと決めた女性。
エレベーターを降りるときに扉を開けていたら「ありがとうございます」ってめっちゃ笑顔。

ものすごーい絶世の美人ってわけじゃなくても、笑った顔って女性をいちまん倍ぐらい魅力的にさせてくれると思う。顔だけじゃなくてまわりの空気までふわっと軽くなるような。わたしもそうあらねば、と思う7月の最終日なのでした。

大事なお金で、痛い靴を買ってしまうのはなぜだ。

靴って、わたしの中ではかなり特殊な位置を占めている買いものです。3万円以上払っても一度履いてもう二度と履けないこともあるし、ほぼ賭けのようなもので。合わなければ「仕方ないね、靴だものね」で済まされてしまう。ほかのものだったら絶対にそんなものを買ってしまった自分を許せないのに。

なぜ痛い靴を買ってしまうのか?知識がない自分が悪いのはもちろんですが、店員さんにももう少し知識があればよいのに、と思うのです。販売している人なのだからある程度はプロなのだろう、と思ってしまうのがそもそもの間違いなのか・・・。
履いた足の横や前をちょっと触って「あ、サイズぴったりですねー」って言うだけ。ちょっときついかも、と言っても「今夕方で一番足がむくんでる時ですからね」とか「革だから伸びますよ」とかしか言ってくれない。ひどいときは履いている様子をただ眺めているだけということもあります。ビルケンを買ったときも中敷がコルクでできているから足に合うようになるまで少し痛い時期があるということも教えてもらえなかったし、、。これまでの人生で当たった店員さん運がなかっただけかもしれないけど、これまでいったいどのくらいのお金を無駄にし、靴を投げ捨てて帰りたいぐらいの痛みと戦ったことか!ハイヒールを履きたいのに履けない悲しさを味わったことか!ハイヒールを履くときは痛みや靴擦れと引き換えと信じ込まされてきたことか!

なぜこんなことをつらつらと考えているかというと、神の店員さんがいなくなってしまったらわたしはどこで靴を買えばよいのかと思って。たまたま神の店員さんに会って、合う形を教われたからよかったけれど、会えなかったらひたすら賭けのような買い方をしなくてはいけないのかなぁ。正しいアドバイスをもらえるところって身近にはないんだなぁ・・。メガネ屋さんで合う度数のレンズをお客さんに勝手に選ばせて買わせるところなんてないのに、靴はそうじゃないなんておかしいよ。

百貨店などでシューカウンセリングを利用する、という手はあるけどそういうのじゃなくて・・全体的な底上げを希望します!(誰に対する主張。笑。でも切実なんだよぅ~!!)