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ちょうどいい毎日をさがす日記

なんだか停滞してるな、他人と比べては落ち込んでばかりだな、ともやもやした空気が立ち込めてた2015年。それを変えようとまずは暮らしをシンプルに整えようと取り組んだ2016年。なんとか現状を変えようと、ちょうどいい毎日、を模索する34歳のブログ。

「生と死を問う」読売新聞の記事を読んで

わたしの生活

早速新聞のお試し配達を申し込みました。
特にこだわりがあるわけではないので、実家でとっている読売新聞にしました。
近所のスーパーのチラシが大量に入っていて、
何年もチラシなしで買い物をしてきていたのでなんだか新鮮です。
チラシに煽られて必要ないのに買い物に行ってしまいそう。危険。



今日の新聞の記事に「安心の設計 死に姿で知る『生きる』(青木新門さん)」というコーナーがありました。
青木さんは映画「おくりびと」の原作となった「納棺夫日記」の著者です。

死期を悟って、死を受け入れたと思える人の遺体は、皆枯れ木のようで、
そして柔らかな笑顔をしています。(中略)
体や心が死ぬ時を知り、食べ物や水分を取らなくなり、そして死ぬ。
それが自然な姿なのではないか。

この文章を読んで、昨年96歳で亡くなった祖父のことを思い出しました。
祖母をその6年ほど前に亡くし、95歳まで一人暮らしをしていました。
アルツハイマーだった祖母のことも、いよいよ一人では難しいと判断するまで、
何年も、子供である私の母や叔母の手を借りながら家で介護をしていました。
祖母が病院に入院してからも、途中長い長い坂道を通って、片道30分かけて
雨の日も冬の日も毎日絶対に欠かさず病院に行っていて、看護婦さんの間でも話題になっていたそうです。

そんな祖父が介護施設に入ったのは、確か94歳の時でしたが、
自分で入ることを決め、入居しました。
祖父は健康で頭もはっきりしていたため、介護認定が全く受けられず
ヘルパーさんに来てもらうこともなく一人で生活していました。

祖父はお酒が大好きで、90過ぎて一人暮らしになった時、
外で飲みすぎて途中で家の鍵をなくし、お店の人の家に泊めてもらったこともありました。
幼馴染を連れて、祖父の家を訪れて、夜中じゅう一緒に飲んだこともありました。
夜中の1時か2時を過ぎて、そろそろ寝たら、と私が言うと、
これから楽しいところなのになぜ寝なければならないのか、と
憤慨していました。

施設でも機会があれば少しお酒を飲んでいましたが、亡くなる数ヶ月前、
「もうお酒は十分飲んだ。もう飲まない」と言い、
お酒を一切口にしなくなりました。
また、亡くなる一週間ほど前には
「もう十分美味しいものを食べてきたからもう食べない」と食べることを辞めました。

自分で自分の死に際を決めた、そんな姿勢がかっこよすぎて、
青木さんの記事と重なりました。

戦争に海軍として参加した祖父は、体が丈夫で、
最後まで目も耳もよくて、私と弟がコソコソ話をしていると
「何悪いこと企んでるんだ」と笑ったものです。
朝6時に起きて散歩する、毎朝野菜をたっぷり入れたお味噌汁
(祖父は「おみおつけ」と呼んでいました)を飲む、など
自分が健康でいるためにルーティンを作り、日々こなしていました。
食べることをやめ、体力が消えてしまうまで、
世間のことへの興味も失わず新聞を読み、テレビもよく見ていました。
女好きでもありましたが、本当にかっこいい祖父だったのです。

忘れたくないのに、少しずつ少しずつ砂時計のように記憶が薄れてしまう。
祖母や祖父のにおいや声、手の感触がだんだん消えていく。
今日たまたまこの記事を読んで、祖父のことを思ったので書き記してみました。

昨年のお正月には一緒におせちを食べたのに。