ちょうどいい毎日をさがす日記

なんだか停滞してるな、他人と比べては落ち込んでばかりだな、ともやもやした空気が立ち込めてた2015年。それを変えようとまずは暮らしをシンプルに整えようと取り組んだ2016年。なんとか現状を変えようと、ちょうどいい毎日、を模索する34歳のブログ。

あなたはあなた。わたしはわたし。

わたしの友人にとてもかわいくてかしこい子がいます。大学時代からきちんと将来のことを考えて一歩一歩進んでいました。わたしなんて遊んでばっかりだったのに・・

先日お茶をしていたときに「今日みたいな日は旦那様は夜ごはんどうするの??」という話になりました。

彼女は「冷蔵庫に作りおきのチャーシュー入ってるからもしよかったら食べてね」というのだそうです。
「それで食べてなかったらむっとしない?」というわたしの幼稚な質問に、
「全然しない。だって言われたときは食べようと思うかもしれないけど実際その時になったら旦那さんは別のもの食べたいかもしれないし、残ったらお弁当に入れたり自分で食べればいいし。旦那さんのためにあえて作るわけじゃないから。」

自分を押し付けず、さりげなく他人のことを思いやっている、これこそ「神対応」だと思いました。

「でもさ、料理するのだって大変でしょ?それなのにラーメン食べに行かれたりしたらむっとしちゃうでしょ?」と食い下がるわたし。
「そもそも料理は、人生の中でも数少ない『全部自分でコントロールできるもの』って認識だからよくわからないな~。自分でコントロールしてるから料理ってむしろストレス的位置づけだからね」とあっさり返されたのでした。

つまり彼女は、なにをするにしても、自分が軸になっているということかなと思います。やらされたり、一般的にやるべきだからしているのではなくて、自分が選択してやっている。
一見他人に冷たそうですが、そうではなくて、他人には他人の基準があるとわかっていて、他人を尊重しているのだと思います、

わたしは近しい間柄だと、その人の気持ちまで行動で操ろうとしてしまう非常に悪いところがあります。旦那さんの好物を作ったのだから喜んでもりもり食べてくれるに違いないとか、時間がないのに洗濯と掃除をしたのだから感謝されるだろうとか。
逆に旦那さんの具合が悪そうだからわたしも出かけたりせずに家でおとなしくしていなければとか、旦那さんは残業だからわたしも録画したドラマなんて見ていないで掃除しなければというのもあります。
シンプルなくらしを目指している中で自然と、自分の日常や家族に対する「べき」が減ってきたのと同時に不思議とだんだんとこうした傾向は薄まってはきましたが・・

「あなたはあなた。わたしはわたし。あなたのためにわたしにできることはやるね(でも気にしないで!)」という彼女の他人への尊重の仕方があまりにも素敵だったので、備忘録でした。